例えば、“パワー・イン・ザ・ワールド”という曲のタイトルが“パワイン”と略されることがあります。
他にも、
“ガストロンジャー”は“ガスト”。
“穴があったら入いりたい”は“穴”。
“so many people”は“ソメニ”。
“俺たちの明日”は“俺明日”。
“今宵の月のように”は“今宵”。
“脱コミュニケーション”は“脱”。
“リッスントゥザミュージック”は“リッスン”。
私だけ…?というのもあるかも。
こういうの、例えば友達とのメールの文章だと、たまに使ったりはするんだけど、
実際に話す時は、私はあんまり略称は使わない方です。
“ガストロンジャー”は、“ガストロンジャー”と言い、
“so many people”は“ソーメニーピープル”と言います。
“リッスントゥザミュージック”も“穴があったら入いりたい”もぜひフルで言いたい。
略称じゃないけれど、“七色の虹の橋”も口に出して言いたいタイトル。
“ああ流浪の民よ”も。
“平成理想主義”も。
“極楽大将生活賛歌”も、長いタイトルだけど言いたい。
”遁生”とか”うつらうつら”とかも言いたい。無性に言いたいときがある。
略すのがどうのこうのと言うより、
ただ単純に、言いたいだけなんですね。
なんかこう、言うだけで元気出るみたいな。
今日は限りなく小さな主張をしてみました。
エレカシとカタカナ昨日、“季節はずれの男”の詞、
≪努力を忘れた男のナミダは汚い≫をじっと見てて、
涙じゃなくてナミダなんだよなあ、となんとなく思って...