アルバム『町を見下ろす丘』に入っている“甘き絶望”の、
電話のベルに驚かされてふと目を上げた。
エレファントカシマシ “甘き絶望” 詞/宮本浩次
という部分が気になってて、というか好きなんです。
最近、じわじわと沁みてきている曲のひとつです。
“甘き絶望”は、2009年の武道館でも演奏され、DVD『桜の花舞い上がる武道館』にも収録されてますね。
この映像もとってもいいんです。
”昔の侍”のMCのときにも、”甘き絶望”の詞が引用されていたりしました。
マイナスのイメージとプラスのイメージを行ったり来たり、
そんな思考の流れの中で、電話のベルではっと我に返る瞬間。
「絶望」という言葉、昔、もっと若い頃は、
暗い小説とかにしか出てこないような、非日常なイメージだったのが、
年を重ねると、もっと身近に感じるようになった……と言うと変かもしれないけど、
でもちょっとそんな感じはあって、
ままならない、やりきれないようなことが増えるというか、よくもわるくも諦観してしまうというか。
そんな感じのとき“甘き絶望”は、すーっとココロに入ってくる曲だったりします。
さっき入れたお茶がもう冷めてしまった(入れ直さなきゃ)
エレファントカシマシ “人生の午後に” 詞/宮本浩次
同じくこれも町丘の曲、“人生の午後に”です。
激シブの曲で、全編にわたって悶々としているんだけども、
曲の中盤にある、このお茶が冷めてしまったのフレーズがすごく好きです。しかも≪入れ直さなきゃ≫。
これもさっきの≪電話のベル≫と同じ感じがちょっとあって、
悶々、ウツウツしてても、ウツウツの世界に両足どっぷりじゃなくて、
片足は地に足が付いてるというか、
お茶のことを思い出す、我に返る余地があるのが、なんとなく救いがあるような気がします。
不条理に胸を痛めても、激烈に熱い理想を語っても、どん底の暗闇を這いつくばっても、
ふと醒める瞬間が描かれる。エレカシの曲の、何気ないそういうところにひかれます。
その1行があることで、ぐっとイメージが広がるし、曲に引き寄せられる気がします。
くだらねえとつぶやいて
醒めたつらして歩く
エレファントカシマシ “今宵の月のように” 詞/宮本浩次
やっぱり、“今宵の月のように”の冒頭は大好きです。
うっすら治りきらない傷、堂々巡りのの出口のない葛藤、
そういうものを日々抱えながら、思いをめぐらし、あーだこーだ悩んではハッと我に返る。
で、また何もなかったように歩きだす。
この繰り返しなんだろうな。
エレカシの曲を聴いてると、そんなふうにいつも思わされ、そしてさあ歩けと、
とん、といつも背中を押されるような思いがするのでした。