年別活動振り返り

1996年(エレカシのリリース、ライブなどを振り返る)

リリース

1996.04.19  10th SINGLE『悲しみの果て』(cw/四月の風 )
1996.07.19  11th SINGLE『孤独な旅人』(cw/Baby自転車)
1996.08.21  8th ALBUM『ココロに花を』
ドビッシャー男/悲しみの果て/かけだす男/孤独な旅人/おまえと突っ走る/四月の風/愛の日々/うれしけりゃとんでゆけよ/流されてゆこう/Baby自転車/OH YEAH!(ココロに花を)
1996.11.01  12th SINGLE『悲しみの果て』(cw/うれしけりゃとんでゆけよ) ※再リリース

MV

ビデオクリップ集「クリップス」
悲しみの果て/孤独な旅人/ドビッシャー男

ライブ

09月08日(日) 日比谷野外大音楽堂 (TOUR 1996 OH YEAH!~ココロに花を~恒例!”夏の野音”)など

ライブ映像

「エレファントカシマシ EPIC映像作品集 1988-1994」
孤独な旅人/悲しみの果て (1996.8.25 GOOD STOCK ’96/札幌芸術の森野外ステージ)

ライブ音源

完全限定生産 6枚組ライブブートレグBOX[the fighting men’s chronicle] ~ THE ELEPHANT KASHIMASHI official live bootleg box
【Disc 2】who’s next – select from 渋谷クアトロマンスリー ’95 to ’96(1996.1.24 渋谷クラブクアトロ)
ゲンカクGet Up Baby/極楽大将生活賛歌

「野音 秋」(1996.9.8 日比谷野外音楽堂)
「序曲」夢のちまた/夢を見ようぜ/ゲンカクGet Up Baby/土手/かけだす男/珍奇男/うれしけりゃとんでゆけよ/男餓鬼道空っ風/通りを越え行く/「序曲」夢のちまた/夢を見ようぜ/ゲンカクGet Up Baby/土手/かけだす男/珍奇男/うれしけりゃとんでゆけよ/男餓鬼道空っ風/通りを越え行く

1996年のトピック

四月の風

1996年4月、エレカシはポニーキャニオンからシングル「悲しみの果て」で再デビューします。

「四月の風」はそのカップリング曲でした。

「”四月の風”っていう曲をその時作って、《何かが起こりそうな気がする 毎日そんな気がしてる》って本気で…夜中のね…お正月に作ったの僕は覚えてんですよ。寝られなくてね。風邪ひいてて。布団ん中で《何かが起こりそうな気がする》ってこうやってやってるわけですよ」

FM COCOLO「SPARXグループ RADIO EUTOPIA」2017.02.04

契約切れから再デビューの頃のことを振り返る時、宮本さんは「悲しみの果て」と「四月の風」の2曲に触れることが多いけれど、「四月の風」のことをより多く語っているような気がします。

この春に出た雑誌のインタビューで、1曲選ぶなら、という質問に宮本さんは「四月の風」と答えています。

1996年4月には「四月の風」がFM802のヘビーローテーションに採用されました。

ドキュメンタリー「the fighting men’s chronicle」では、FM802の岩尾知明氏が当時を振り返り、「明日もがんばろう」というメッセージを、ロックの、しかもエレカシの宮本さんから出る言葉か、というインパクトがあった、とお話しされていました。エレカシから「がんばろう」というのが意外だった…(でもそれがよかった)というようなニュアンスだったと思います。

……ということもあって大阪のライブでこの曲の演奏頻度はとても高い。 2013年の、台風で延期してしまったZepp Nambaでのライブでもやってて、ちょっと泣いてたような気がします。(号泣でなくしみじみと)

25周年記念に出た「ココロに花を」のリマスター盤には、サビが違う「四月の風」のデモ音源が収録されています。

「ココロに花を」 deluxe edition

Aメロは同じだけどサビ前からサビにいたるくだりが全然違ってて、最初聴いたときは本当に衝撃で……

しかしこれも聴きこむとしみじみと味わいがでてくるというか。やっぱり世に出た「四月の風」の方が洗練されているという感じはしますけど……

一曲の変遷をこうしてなぞるというのはなかなかないので、新鮮な体験でした。

佐久間さん、土方さん

宮本「佐久間さんとやりたかったのは、何よりも僕はストリート・スライダーズの『天使たち』っていうアルバムが大好きで。(中略)だから僕にとってはBOOWYやジュディ&マリーのプロデューサーであると同時に、僕の尊敬してやまない『天使たち』を作っているプロデューサー、あのロックバンド、スライダーズのプロデューサーである佐久間さんだったんです」

MUSICA vol.12 2008年4月号

この頃から、制作にあたり外部のプロデューサーを迎えることになりました。

「悲しみの果て」「四月の風」では土方隆行氏、多くの曲で関わったのは佐久間正英氏。

佐久間さんとは、アルバムでは「ココロに花を」から「愛と夢」までの3作品、しばらく間をあけて「町を見下ろす丘」で再びタッグを組むことになります。

「エレファントカシマシ5」の頃から外部のプロデューサーを入れたかったようですが、この時期にようやくそれが実現されることに。

ウォークマンを叩き壊す

--たとえば”かけだす男”が上がって聴いた時に「こんなの違う!」とウォークマンを道に叩きつけて壊したり――。
宮本「あぁ~、はい、新宿の道でしたねぇ。」

MUSICA vol.12 2008年4月号

有名なウォークマン叩きつけ事件。

新宿だそうです。

私がエレカシを聴き始めた頃、このウォークマン事件というのは、何かにつけインタビューで語られていたので、とても記憶に残っています。

侘助的回想

再デビューした1996年。 ウォークマン事件もそうですけど、当時のインタビュー、単行本「風に吹かれて」の終盤あたりを読んでると、宮本さんの葛藤がものすごい。

「そんな話ききたくない」と山崎さんに言われていたりする。

「悲しみの果て」は余技だ、なんてことも言っていました。この曲を好きだった私は、すごいショックというわけではなかったけど、いろいろ思うところがあるんだろうなあ……という感じでした。

宮本「”四月の風” “悲しみの果て”っていうのが……もう泣きながら作ってますよ、自分が敗北したっていうことを承知してるっていうか」

ROCKIN’ ON JAPAN 2009年9月号

時が経って、2009年頃になると、振り返ってこんなふうに語っています。

「四月の風」や「悲しみの果て」を生み出す時のエネルギー、摩擦と言ってもいいのかもしれないのですが、本当にものすごかったんですね。

そしてその摩擦は決してマイナスな要素だけではなく……

スーパーエディション(2017年3月出演のラジオ番組「ARTIST PRODUCE SUPER EDITION」)でも話してたけど、 「四月の風」を作ったあと、石くんと車に乗って、「遁生」を歌っていた俺がこういう歌をやるのは、まだまだやれるんじゃないか、と宮本さんは石くんに話したそうです。

新生エレファントカシマシの曲は、いろいろありつつもこうやって少しずつ世間に広がっていくことになります。

個人的には、この年にようやくエレカシに開眼。

きっかけは「悲しみの果て」で、反町隆史が出ていたグリコアーモンドチョコレートのCMでした。

思い返せば、この頃の自分というのは、初めての挫折を味わったというか……
冷静に今思うと、挫折なんて大げさだし、自分の努力も足りなかったから当然のことだったんですけど、いろいろうまくいかず、ずいぶん落ち込んでいました。

そんな時期に目にしたのがこのCMでした。 1回聴いて胸をわしづかみにされ、ほどなくして「ココロに花を」を買いました。

出会うタイミングってあるんですよね。求めているかどうか。エレカシの場合は特にそういうものが大きいような気がします。
渇望していたというか……潜在的に何かを掴みたいと、ココロの中ではいつも手を広げてたんだと思います。

なぜか京成線の景色を思い出します。一体どこに行ったんだろう。でも、なぜか京成線ということだけは覚えてます。 車窓をぼーっとながめながらひたすら「ココロに花を」を聴いていました。

1996年4月号のrockin’ on JAPANに載っていたシングル「悲しみの果て」の広告。

素朴……。象なんですね。

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