年別活動振り返り PR

1990年(エレカシのリリース、ライブなどを振り返る)

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リリース

1990.07.02 5th SINGLE 『男は行く』(cw/too fine life)
1990.09.01 4th ALBUM 『生活』

MV

男は行く(MUSIC VIDEO from eZ)
エレファントカシマシ EPIC映像作品集 1988-1994

ライブ

09月29日(土) 日比谷野外大音楽堂 (初の野音単独コンサート)
など

1990年のトピック

火鉢

この時期といえば火鉢です。
単行本の「風に吹かれて…」のP.216あたりにも火鉢話が出てきますが……
シャレとかそういうのでは全然なく(当たり前だけど)、おおまじめに火鉢。
2009年、日比谷野音の「遁生」前のMCでは、
当時を思い返し、火鉢について話しています。
一酸化炭素中毒になって頭痛くなったとか、
夜中の三時くらいにお風呂で水をかけて炭の火を消したとか、
そんな生活して両親は心配してただろうなーと思うとか、
当時の火鉢ライフについてしみじみ語りつつ、
「自分が孤独で部屋でじっとしてて、そんな思いで作った曲です」と言って曲に入るのです。
この野音の「遁生」がほんとにいい。
↓に収録されています。

エレファントカシマシ 2009年10月24,25日 日比谷野外音楽堂

雨で光る床、歌の隙間に漏れ聞こえる雨音。
歌がいいのはもちろん、映像的にも奇跡的なテイク。すばらしい。

初の日比谷野音

この年から毎年繰り返されることになった日比谷野音でのコンサート。
年を経るにつれ、エレカシライブの”聖地”となり、
2000年代の終わり頃、
ユニバーサル移籍後の再ブレイクの頃から
すっかりチケットが取りづらくなってしまいました。

山崎洋一郎

2009年のROCKIN’ ON JAPANで、
エレカシの10曲を選んで山崎さんと語らう、
というインタビューがあったのですが、
「生活」というアルバムは、
「山崎洋一郎に聴かせるために作った」と話していました。
(恥ずかしいからデカデカと載せないで、と本人は言いつつ)
前作の「浮世の夢」の時、山崎さんに、
「自分たちに歌ってる気がしない」などと、あまり評価を得られず、

宮本浩次「他にだってもう、全然誰とも会わないわけじゃない、俺なんか。それで、山崎さんていう人を通じて、世間の声を聞くわけよ。(中略)きちっと、そこに至る過程をちゃんと示して、わからせなきゃいけない!っていうふうに思ったわけ」

ROCKIN’ ON JAPAN 2009年9月号

この発言がすごく印象的……というか、これを読んだ時に驚いてしまいました。

一人の男にわからせるために、作品を作る。
それだけ関係性が密だったということか……
しかし表現というのはそういうものなのかもしれないなあ、とも思ったり。

--だけど孤独だったんですよね。
宮本「多分孤独だったんだと思います。孤独に憧れてたし、自分の中では精一杯孤独だったんだと思います。実際は孤独じゃないんだけれども、見守ってる両親がいたりしたんですけどね、友達とか」
--だけどあなたの精神風景としてはもう限りなく1人だった。
宮本「孤独。1人だった」

bridge NOVEMBER 1997 VOL.16 CUT11月号増刊

「生活」の頃を振り返っての宮本さんの言葉。
とっかかりは一人の男に向けて作られたものであっても、
その嘘のなさ、ひたむきさゆえか
実は普遍的で強いものになるのかもしれません。

むしろ理想

--今度のアルバムを聴いていると、徹底して一人の世界ですよね……
宮本浩次「僕がずっと喋ってきたようなことをつきつめていけば、そうなるのは当然だと思いませんか? ただ、歌っていることはむしろ理想で、自分自身が本当にそこまで行っているかというと、まだまだそうじゃありませんから」
--そんな風に自分を追い込んでいって苦しくはありませんか?
宮本「むしろ逆なんじゃないですかね。根本は人を頼りたがるし、甘えたがる人間なんだと思いますよ。だけど、それがどうしても嫌というか、その方がやっぱり苦しいんですよ。それで、なんとか断ち切ろうとするんじゃないですかね」

宝島1990年No.206(8/24号)

「生活」についてのこのインタビューは、
単行本「風に吹かれて…」のものとは心なしか違う感じがします。
(聞き手が違うので当然といえば当然か)
ストイック……ストイックという言葉が
もはやちゃらく感じてしまうくらいです…

のちに
《男の歴史とは己のイメージと相克の歴史》(“化ケモノ青年”)と歌っていますが
この時期の”相克”が垣間見えるような記事です。

自分の思いというか哲学というか、
エネルギーの塊が、
混じりっけなく直に作品になっていった時期なんだと思います。
表現者なんだからいつだってそうなんだろうけど、
エレカシの特にこの時期は。

侘助的回想

1990年は「生活」が出た年。

エレカシのアルバムを並べてみると、
このジャケットは目を引きますね。
というか、「生活」というタイトル自体がすごいですね。

このアルバムの曲は、
ライブで披露されると、おおーーー!!っとなります。
頻繁にはやってくれないので。

私は「悲しみの果て」が入り口だったので、
後追いで聴いたこのアルバムの、ハードルの高さたるやいやはや。

でも、ファンではあるので、聴かなければ!
と妙な使命感?のようなもので聴いていました。
このアルバムがわかってこそエレカシを理解できる、くらいの勢いで。
でも難しかったですねえ。
≪ペットのようなら飼ってもいい≫とか歌ってたし。

でも、何かのインタビューで「『生活』はメロディの宝庫」と
言っているのを読んで、なるほどそうかと。
頭でわかろうとしすぎていたのかもしれないと思い
改めて聴いてみると、
「偶成」や「遁生」のメロディの美しさに心打たれるものがありました。
言われなくてもわかれよ!という話ですけど……
そんなこんなを経て、野音とかライブで体感しながら、
ゆっくりと「生活」というアルバムを好きになっていったような気がします。

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