だいぶ時間が経ってしまったのですが、「JAPAN RADIO」のエレカシ回について。
rockin’on.com/山崎洋一郎の「総編集長日記」
エレファントカシマシについて語りました。日本のアーティストを毎回一組ピックアップして語るポッドキャスト番組「JAPAN RADIO」
ポッドキャスト番組「JAPAN RADIO」とは
「JAPAN RADIO」とは、2021年4月から始まったロッキング・オンの山崎洋一郎氏を中心に日本の音楽シーンを語らうというポッドキャスト番組。
この番組は、日本の音楽シーンを振り返りながらそこに登場した数々のロックアーティストやレジェンド、時代を変えた重要なアーティストを毎回1組取り上げて、ロッキングオンジャパン編集長の山崎洋一郎がリアルな情報を届ける番組です。
「JAPAN RADIO」詳細情報
#1がエピローグ、その後週1の頻度でアップされているようです。
登場するのはエレカシファンにもおなじみ山崎洋一郎氏と、ほかにテリー植田氏、ZUZOMARIさん。
このポッドキャスト番組の3回目でエレカシが取り上げられました。さすが山崎さん。早い。ブルーハーツの次がエレカシ。
エレカシ回は2021年4月16日付け。42分。
Apple Music 「JAPAN RADIO」#03【エレファントカシマシ】
https://anchor.fm/japanradio/episodes/03-eso8fv
Spotify 「JAPAN RADIO」#03【エレファントカシマシ】
「JAPAN RADIO」#03【エレファントカシマシ】の内容
このポッドキャスト、曲は一切かからず、テーマのアーティストについてとにかく三人がしゃべりまくるという内容。
初めて聞くような話や興味深いエピソードも多かったので、もろもろここに書き留めておきたいと思います。
山崎洋一郎とエレカシの出会い
80年代終わり、ロッキング・オン社に入って2、3年目、25,6歳の山崎さん。まだ「ROCKIN’ON JAPAN」も創刊されておらず、洋楽雑誌「rockin’ on」を渋谷陽一ら5人で家族っぽくやっていた頃。ソニーオーディションで、優勝は逃したがいいバンドがいると聞かされ、編集部のみんなで聴いたのが「ファイティングマン」だった。すごいバンドがいると編集部じゅうで盛り上がった。
山崎洋一郎:「ファイティングマン」は今は、過去の名曲、締めの曲みたいなかっこいいイメージがあるかもしれないけど、当時は皆、仕事中で鼻歌で歌うための曲で。《オー ファイティングマーン イエー》ってみんな鼻歌歌いながら、編集部で(笑) ほんと元気出てた、歌いながら。何かっていうとあの歌が出てくるのね。
「JAPAN RADIO」#03【エレファントカシマシ】
その当時の”ロッキング・オン”のテーマソングになっちゃった、と山崎さんは語ります。
山崎さんも初めてしゃべると言っていたけれど、この話は初めて聞きました。
確かに「ファイティングマン」は今ではライブの終盤にやることが多い。アンコールとか。
しかし当時は違ったのだと。鼻歌で歌ってたんだと。仕事場でのテーマソングだったんだと。
当時まだ小さかったロッキング・オン社。革新的なことを次々とやり、夢の数だけ障壁もあった時だろう。「ファイティングマン」という曲が、音楽誌とアーティストという関係を越え、若い編集者たちを鼓舞し勇気づけたということは想像に難くない。
山崎洋一郎、初めてのエレカシライブ
最初の出会いが「ファイティングマン」だったことから、ノリのいい、イケイケなライブをするだろうと思ってエレカシのライブを観に行った山崎さんでしたが・・・
メンバーが出てくるんだけど、出てくる時の足音が「コツ、コツ」って聞こえるぐらい(笑)
それで曲が始まって終わるまで、一切声援とかもちろんなし。(中略)すぐ舌打ちしたりとか。横向いたりとか。とにかく機嫌悪そうにするっていう。そういうもんだったの。エレカシのライブっていうのは。
今のイメージと全然違うでしょ? 今は始まったらさ、「イエーーー!」って出てきて「エブリバディ! ようこそ!」ってやるじゃん。もう、考えられない。あの頃のエレカシからすると。
同上
EPIC期のライブの様子。私も例えば↓の渋公の映像等で知るしかないのですが、本当に今からは想像できない。
ライヴ・フィルム『エレファントカシマシ~1988/09/10 渋谷公会堂~』
立っちゃいけないし、声援もダメだし、
例えば↓に入っている1990年の武道館や、エレファントカシマシ6の頃のライブなどは、見ているだけで息が詰まりそうな場の空気。映像を通じても緊張してしまう。
エレファントカシマシ EPIC映像作品集 1988-1994
山崎洋一郎、初めてのエレカシインタビュー
山崎さん、初めてのインタビューは宮本浩次と1対1。さながら、思いつめた二人の文学青年が向き合って、ああでもないこうでもないと言葉少なにしゃべる禅問答みたいだったそう。
山崎洋一郎:基本的にずーっとそういう雰囲気は変わらず・・・いまだにそういうアレはありますよ。言葉数は増えてるし、和気あいあいとしてる風には見えるけど、いまだに丁寧語、敬語だし、お互い。「そうですよね」みたいな。ですます調で話すし。
ちょっと俺が外れたことを言ったりすると、彼は明らかに機嫌を損ねますよ。気持ちよく機嫌を損ねますよ。「何もわかってないですね」っていう目でこっちを見る。
同上
「何もわかってないですね」っていう目!
想像するだけで震え上がるんですけど、そのやりとりを傍から見てみたいというこのマニアックなファン心理・・・(笑)
「気持ちよく機嫌を損ねますよ」と言う山崎さんは、嬉しそうにも見えます。容赦しない容赦されない人間どうし。その信頼関係というのは尊いものだと思うのです。
プチ情報としては、宮本さんが山崎さんにインタビューされている映像が特典として収められているのが「Life TOUR 2002」。インタビューの場所は六義園です。
低迷していたエレカシが売れた理由
エピック期の7枚のアルバムのセールスは7000から13000枚の間。
その後どうして売れるようになったのかと問われた山崎さん。
山崎洋一郎:曲が完全にポップになったんですよね。レコーディングとかもクセのあるものじゃなくて、聴きやすいアレンジのレコーディングに変わって。あとはライブでのキャラクターが全く変わった。それこそ出てきて「ようこそエブリバディ!」あの宮本が登場したのがこの時期。
同上
宮本さんが以前、過去を振り返って、意識的にライブのやり方を変えた、と言っていたのが1994年の市川でのライブだそうです。とにかく「サンキュー」を連呼し、ステージングのノリを変えたそうです。

山崎洋一郎が思うエレカシの音楽的魅力
エレカシが出てきた80年代終盤、日本はゴリッとしたロックバンドが全然いなくて、エレカシはそれだけで「どロックじゃん、珍しいな今時」と山崎さんは思って衝撃だったそうです。
山崎洋一郎:ただのロックじゃなくてめちゃくちゃユニークな特殊なロックで、僕はよく言うんだけどレッド・ツェッペリンのサウンドに日本文学が乗っかったみたいなのは今までなかったスタイルで、これはすごい面白いなと思いましたね。発明だなと思って。
同上
ツェッペリンサウンドに日本文学をのせるという、まさに唯一無二の存在だったエレファントカシマシ。
当時はバンドブームだったけど、もっとポップでカジュアルで、それまでの歌謡曲を引き継いだようなテイストのグループがほとんどだった中、エレカシは明らかに異彩を放っていたのでした。
テリー植田さんの、エレカシは「大丈夫だと背中を叩いてくれる感じが今だにあるじゃないですか。でも説教臭くなくて、文学的に応援してくれる」とのコメントに対して山崎さんは
山崎洋一郎:だから本当はね、アコースティックギターの弾き語りとかそういうので表現しがちな歌詞とかだったりするんだけど、それを爆音のロックスタイルでやるっていうのがめちゃくちゃ新鮮だったんですよね。
同上
これは今更ながら、なるほどなあ~~と。
エレカシの音楽の乾いた感じというか、毅然としている雰囲気は、こういった歌詞とサウンドの組み合わせの妙なのかもしれない。
20代ZUZOMARIさんの言葉
ZUZOMARIさんという方、このポッドキャストで初めて知ったのだけれど、絵やイラストで活動している20代のアーティストのようです。
https://zuzocells.com/help/about
そんなZUZOMARIさんが持つエレカシのイメージは・・
ZUZOMARI:光芒っていうんですか。太陽があって雲があって光が差してる感じっていうイメージなんですよね、私の中で。暗黒の中にいるけど光が差してるみたいな。
山崎洋一郎:あからさまにピカピカ明るいだけじゃないし、真っ暗で絶望ってわけではなくて、一見結構厳しいシリアスな世界なんだけど、パーンと抜けるみたいな明るさもあるということなのかな。喜ぶかも、宮本君。
同上
「光芒」、漢字変換あってるかな?(汗)
すてきなコメントだなあと思いました。私も宮本さん喜ぶだろうなあと思った。宮本さんが繰り返し切り口を変えながら表現しているテーマそのものに近いイメージなのかも。
20代の若者がそう受け取っているというのが、これはかなりすばらしいことなんじゃないかと。
インストアイベント
1995~96年頃のことだと思うのですが、インストアイベントのことを思い出しお話ししていた山崎さん。その頃宮本さんは各お店を回り、弾き語りとトーク、CD購入者にはサインをプレゼント、という店内イベントをやっていたそうです。山崎さんは、司会進行役として、宮本さんと一緒にCDショップを回ったそうです。まだ売れてなくて、お客さんが少ないこともあったといいます。
ポニーキャニオンの頃のインストアイベントのことはよくわからないのですが、東芝に移籍後、アルバム「good morning」の頃、渋谷のタワレコでインストアイベントがありました。
宮本さんとしては自信作のアルバムだったし、移籍第一弾のアルバムだったので、売りたいという気概もあったのでしょう。
渋谷タワレコの地下のライブスペースで、CD購入者が抽選で招待され、確か弾き語りを何曲かと、この時もやはり山崎さんとのトークコーナーがありました。
問題はそのあと。サイン会があったのです。ライブとトークがあるのは事前に知らされていたけれど、サイン会はサプライズでした。
サイン会があると聞いて、正直「やらなくてもいいのに」と思いました。アルバムは「good morning」です。「ガストロンジャー」や”死刑宣告”の「コールアンドレスポンス」の頃です。
今だったら、プロモーションの一環としてやっているのよね、と大人の対応もできるけれど、エレカシのあの頃のイケイケどっぷりロックモードに心酔していた私は、それとサイン会がどうにも相容れず、ほんとに「やらなくてもいいのに」と思いました。
私の情けないところは、「やらなくてもいいのに」と思うのなら、さっさと会場をあとにすればよかったのですが、サイン欲しさというか、間近で見てみたいミーハー根性というか(笑)、結局サインをもらって握手してもらったのでした。
あの時の、宮本さんの伏し目がちの虚ろな雰囲気、忘れられないです。
虚ろな、というの言葉が強いかもしれません。シャイな感じと言いましょうか。決してファンに対して失礼な態度じゃなく、、、多分、私の個人的な思い、ロックな人なんだからサイン会とかやらなくていいのになあ、という気持ちがそう映ったのかもしれません。ファン心理はほんとフクザツです。。
石くんとかトミはもっと柔かい、やさしい感じだったと思います。
ミーハーならミーハー魂100%で素直に握手なりサインをもらったりすればよかったのに、中途半端な気持ちが入り乱れて、個人的にはなんとも後味の悪いイベントになってしまいました。
山崎さんのインストアイベントの思い出話で、封印していた記憶が蘇りました。ファンはファンなりに、いろいろフクザツな感情を持つものなんですね(笑)
山崎洋一郎が選ぶエレカシの一曲
山崎さんが選んだエレカシの1曲は「もしも願いが叶うなら」。
7枚目のアルバム「東京の空」収録の曲です。
「東京の空」はエピック最後のアルバムで、契約を切られることがわかって作った最後のアルバム。いい曲ができたと宮本さんから電話越しに聴かせてもらった曲が「もしも願いが叶うなら」だったそうです。
山崎洋一郎:めちゃくちゃいい曲で。しかもそれを電話越しで聴かせてくれたっていう状況も含めて、この曲書くこいつはほんと天才だなと思って。なんでこの天才が売れないんだろう。なんでこの天才が契約を切られなきゃいけないんだろうと思って。俺も怒りに近い感情でやるせない気持ちになったのを覚えています。そういう思い出の曲。
同上
「悲しみの果て」でも「俺たちの明日」でもなく「もしも願いが叶うなら」を選ぶ山崎さん。いい話だ。
「もしも願いが叶うなら」、いい曲だもんな。もう、メロディだけで涙腺が緩むもんな。
山崎さんのポッドキャストを聴くと、「風に吹かれて」を読みたくなってしまいました。本の方ですね。「風に吹かれて -エレファントカシマシの軌跡」。
山崎さんと言えば、この一文。
男の子が男の子の心のありようをまっすぐに正直に見つめる事の素晴らしさを感じさせてくれる唯一の才能と言っていいと思う。
かつての少女達がユーミンの音楽だけで思春期の全てを投影できたように、僕も一時はエレカシだけで完全に「一人の青年」でいられることができた。(山崎洋一郎)
「風に吹かれて -エレファントカシマシの軌跡」P.575
アルバム「明日に向かって走れ-月夜の歌-」のレビュー文です。
この本を初めて読んだ当時、この文章がとても印象に残った。
編集者としてというより、一人の男としてのエレカシに対する思い、普段は隠して見せない素の部分を見たような気がしました。
EPICとの契約が切れていた頃、宮本さんが作ったデモテープを手に各所へ奔走した山崎さん。エレカシが売れて本当によかったと、ポッドキャストの中で山崎さんが言っているシーンがありました。もう、心の底からしみじみと。
電話越しに「もしも願いが叶うなら」を聴かせてもらった話に、彼女やん!と突っ込まれ、何も言わず、否定もしない山崎さんだったけど、そりゃ、彼女とかそういう関係性でひとくくりにされてたまるか、というものだったのかもしれない。
編集者としての公的な立場以上に、山崎さん一個人としてエレカシに託したものは小さくはなかったはず。
鼻歌で「ファイティングマン」を歌っていた頃からそれはずっと変わらないのでしょう。
ポッドキャストは42分、たっぷりエレカシについて語られています。無料で聴けるので、まだ聴いていない方はぜひどうぞ。
高円寺の山崎宅を訪れた宮本さんエピソード(靴下編、デモテープ攻防編)もほほえましくてとっても楽しいです。