渋谷さんが亡くなった。渋谷陽一さん。
ロッキンオンのサイトで、病気療養中であることを知ってはいて、
なんとか元気になってほしいと思っていたので
残念でなりません。
渋谷陽一とエレカシ
エレカシファンにとって、渋谷さんの存在は本当に大きかった。
エレカシ初の単行本の冒頭に収められているのは、
渋谷さんによる記事(インタビュー)。
さてそこでエレファントカシマシだが、これは僕にとって年に一度、あるいは数年に一度といっていいくらいの出会いの感動を与えてくれたグループである。まず、今日までの日本のロックにない文体を持った言葉の感覚に驚いたし、それを伝えるメロディーの明快さと、ヴォーカルの力強さ、新人バンドとしては群を抜いていた。
「風に吹かれて-エレファントカシマシの軌跡-」渋谷陽一 (ロッキング・オン・ジャパン 1988年4月号)
デビュー当時からエレカシを評価し、
ライブに足を運び、定期的にインタビューをしていた渋谷さん。
エレカシがエピックソニーの契約を切られ、事務所を解散した時は、
私は親切の無理強いを決意、宮本に連絡を取り、「エレカシ業界復帰推進プロジェクト」を発足したのである。メンツは宮本とロッキング・オンの社長・渋谷陽一、そして私。
「風に吹かれて-エレファントカシマシの軌跡-」山崎洋一郎 (ロッキング・オン・ジャパン 1995年12月号)
山崎洋一郎氏と一緒に、エレカシ復活に向けて奔走したのもファンには有名な話。
山崎さんと二人で「Cherry Boys」なるコンビ名?で、
ポニーキャニオン以降のアルバムに、ある時期までクレジットされています。
「今宵の月のように」
渋谷さんは、「今宵の月のように」が大好きだった。
アルバム・ラストの”今宵の月のように”が素晴らしい。「くだらねえとつぶやいて 醒めたつらして歩く いつの日か輝くだろう あふれる熱い涙」。熱い涙なんて言葉がこれほどまっとうな文脈でリアリティーを持って歌われるなんて、ほとんど軌跡である。
「風に吹かれて-エレファントカシマシの軌跡-」渋谷陽一 (ロッキング・オン・ジャパン 1997年9月号)
エレファントカシマシ「明日に向かって走れ 月夜の歌」レビュー文より
渋谷さんは、冒頭の歌詞を絶賛。
最初の2行から次の「あふれる熱い涙」への飛躍に、この曲の名曲たるゆえんがあると、宮本浩次へのインタビューで力説します。
渋谷陽一:
「bridge」 November 1997 vol.16
だからこれまでは、≪くだらねえとつぶやいて/醒めたつらして歩く≫から、≪熱い涙≫にいくためには、理屈が要ったわけだよ。だから、そういうくだらねえ人生を歩んでないで正しい道を歩むためにはよぉ、これこれこうでこうなんだよ! みたいな、そういう人じゃない、宮本くんって。そこまで言い切らないと駄目という。
(中略)
だけど、哲学だと思わなきゃ凄くリリカルなラヴ・ソングだよね。変に読解力さえなきゃ。だけど読解力がないとこの歌がわからないかっていうと、そんなことないんだよね。そこが素晴らしいよね。名曲を書けたんだよ。
当時、渋谷さんのこのコメントがとても印象的だった。
いい表現とは何か、渋谷さんに教えてもらった気がした。
このインタビュー、ほめられている宮本さんは、照れているのか、リアクションが今一つというか(笑)
だけど今、この記事を読むと、なんだか読んでるこっちが泣けてくる。
デビューからエレカシを見てきた渋谷さん。
どんどんアングラにもぐって、レコード会社もクビになったけど
再起して世に放たれた「今宵の月のように」。
「名曲を書けたんだよ」と言った渋谷さんは、本当に嬉しかったに違いない。
ロッキング・オン創業時のテーマソング
Cherry Boysのもう一人、山崎さんが追悼コメントを出していました。
まだ社員が5人しかいなかった頃に入社した山崎さんですが、
ちょうど、その頃のことを話しているポッドキャストがあります。
山崎さんがエレカシとの出会いを語るくだり(2:45頃)で、創業当時のロッキング・オンの話が出てくる。
当時、26歳くらいだった山崎さん。
まだロッキング・オンには渋谷さん含め5人しかいなくて、家族っぽい感じでやっていて、そんな頃に出会ったのがエレカシだという。
山崎洋一郎:「ファイティングマン」っていう曲を、渋谷陽一含めた5人の編集部でかけて、かけた瞬間から、みんな「なんだこのバンドすげえじゃん!」ってなって。
ポッドキャスト「JAPAN RADIO 山崎洋一郎とテリー植田とZUZOMARIの語り明かそうアーティスト伝説! #エレファントカシマシ」
今、「ファイティングマン」って過去の名曲みたいな締めの曲でかっこいいイメージあるかもしれないけど、その頃は、みんな仕事中に鼻歌で歌うための曲って感じだった。「オーファイティングマンーイエー♪」って編集部で(笑)。 本当に元気出てた。何かっていうとあの曲が出てくるのね。俺と渋谷陽一がトイレとかで一緒になっても、2人で歌ってるの(笑)。その当時、ロッキングオンのテーマソングになっちゃった。
渋谷さんと山崎さんがトイレで一緒に鼻歌(笑)。
始めたばかりの雑誌のビジネスで
若い渋谷さんたちには、夢もあったけど、同じくらい障壁もあったと思う。
鼻歌を歌い、エレカシに勇気づけられていた、渋谷さんの青春。
「創業時のロッキング・オン」をテーマに誰か映画を撮ってくれないでしょうか。
もちろんテーマソングは「ファイティングマン」で。
ロックであっても、しっかり売れるっていうことを意識する。
渋谷さんはそういう人だった。
宮本さん自身もそういうのは持っていたかもしれないけど
渋谷さんからの影響も大きかったと思う。
「悲しみの果て」でエレカシの良さに初めて気づいた私は、
渋谷さんがいなかったら、もしかしたらエレカシに出会えてなかったかもしれない。
渋谷さん、今まで本当にありがとうございました。