ライブ
ライブ映像
- 夢のちまた(日本武道館 1991.1.4)
- 月の夜(日本武道館 1991.1.4)
- 男は行く(日本武道館 1991.1.4)
- 待つ男(日本武道館 1991.1.4)
ライブ音源
- 優しい川/デーデ/星の砂/太陽ギラギラ/待つ男/やさしさ(日比谷野外音楽堂 1991.09.22)
- 待つ男(日本武道館 1991.1.4)
1991年のトピック
リリースなし
この年はアルバム、シングルのリリースがありません。
(リリースがなかった年は他に、契約が切れていた1995年)
オフィシャルの過去ライブのリストを見ても、
本数が少なめなような……
3~4月にライブハウスツアーと、
9月に3本ほど、それで終わり。
宮本浩次「25だったのかな。ひとり暮らしして、同時に彼女もいなくなっちゃって、ほんとに部屋に独りぼっちになっちゃってさあ。ものすごかったですねえ、こもり方が。ずっと家で泣いてるみたいな」
ROCKIN’ ON JAPAN 2010年12月号
2010年のインタビューではこんなふうに当時を振り返ってます。
「生活」の後、彼女にふられて、ずっとこもってしまったと。
この頃の話は、あとになってよくしてましたね。
初の表紙
この年は、ROCKIN’ON JAPAN8月号で初の表紙を飾っています。表紙を飾ったものの、その年の後半、ほとんど活動がなかったことについて、
レコード会社も事務所もこんな常識破りのスケジュールをOKしたんだから、あなた方に向けられた期待は並のバンドとは格が違うんだということです。(山崎洋一郎)
「風に吹かれて-エレファントカシマシの軌跡-」 P.281
落ち着いた言葉の端々に、皮肉というかなんというか、
逆にほとばしっちゃってるというか……
「せっかく表紙にしたのによお!」という切ない声も聞こえてきそうな…
皮肉もあり愛情もあり……という感じなんでしょうけど。
本の「風に吹かれて…」は、山崎さんや渋谷さんの叱咤激励、
特に「叱咤」部分がおもしろい、改めて読んでみると。
対する宮本浩次の反応もはぐらかしたり突っかかったり、
今と違って会話のやりとりもだいぶスリリング。
編集者の立場で、仕事としてバンドを追う、
というより、もう少し踏み込んだ関係だったんでしょうか。
バンドと心中するという思いで表紙にしたんでしょうか。
ある時は仕事人として、ある時は友人として発破をかけ続け、
エピックの契約切れの憂き目にあうも、
CHERRY BOYS(渋谷さん&山崎さん)としてバックアップし、
エレカシがようやく再ブレイクを果たすのは約5年後。
その時はうれしかっただろうなあ…
初の武道館
もろもろあって活動のおとなしい時期ですが、この年のトピックとしては、「初の武道館」。
この時の映像は、エピック映像集にいくつか入っているし、
ドキュメンタリー「the fighting men’s chronicle エレファントカシマシ」によると
スピッツの草野さんはその武道館に行っていたらしい。
1回だけ真っ赤に照らすライティングがあって、
それがすごく効果的だったとコメントしていました。
「EPIC映像集」を見返したら、「男は行く」ですね。
ステージ奥の北スタンド席が真っ赤に染まり、それを映す引きのショットと
ミヤジの横顔のアップ。
その絶叫を3000人の観客がじっと聴いている。
私はこうやって後追いで見るしかないけれど、
本当に伝説のライブだったんだなあと映像を見てしみじみ思う。
当時「宝島」という雑誌で「その日、カシマシを目撃した11人」という特集があり、
その武道館公演を見た人々がコメントを寄せていました。
中村正人(ドリームス・カム・トゥルー) 「観るのは2回目なんですけど、ドリカムと相対的なバンドであるようで、実は似てるんじゃないかと思ってます。エレカシのすばらしさは、宮本の詞と歌に対する純粋さ、説得力がいつもすばらしい。彼らのステージを見ると、音楽って、一生けんめいやれば、ムダな装飾は何もいらないって改めて思います。」
宝島 1991年 No.218 2/24号
中村さんといえば、
ご自身がMCを務める番組「LIVE MONSTER」(2014年)でエレカシがゲストで出演、
とてもいい雰囲気での番組でした…
その時の中村さんのブログ
http://dreamscometrue.com/blog/2014/06/15/6780
20数年前の宝島も、このブログのコメントも一貫して変わらない。
デビューしたての頃からエレカシの本質を見抜き、
音楽を生業にする同志として惜しみない賛辞を送っています。
侘助的回想
この年の後半はほとんど活動しないでひきこもり。
本当に意気消沈しちゃったんですね。
何かのインタビューで「周りは大変だったろうなあ」って
本人が振り返ってましたけど(笑)
私はと言えば、まだまだエレカシに出会えません。
生活の中にエレカシのエの字もない時代。
でも音楽雑誌は買っている頃で、
昔買ったJAPANに「武道館3000席」の広告ページがあったから
目の端では見てたのかなあ。