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「2001年11月21日 エレカシ渋谷AX」をVHS(!)で鑑賞

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昨日の続き。DVD「LIFE TOUR 2002」を見た後は、
2001年11月21日 渋谷AXのライブ映像を見ました。



これは当時Viewsicで生放送されたのを録画していたもので、
VHSのテープ(!)をずっとしまったままにしていたのを引っ張り出してきたのでした。

この日のライブは、宮本さんが客席に向かって、元気がいいな、どうした?
ときいているぐらい、お客さんのテンションが異様に高い。

俺は時差ボケのまま、別にウソじゃないんだよ
2日しかリハーサルがなくてツアーに入って
名古屋のそうたしかクアトロだったな
全然寝てないのに歌を久しぶりに歌ったから
なぜか声が出て気分がよかったぜ~
OH! コンサートへ~ OH! コンサートへ~
エブリバデようこそ
東京のAXはオレ初めてだけどオレ達エブリバデー
今日はようこそ
コンサートは中盤にさしかかってまいりました
OH YEAH! オレは今日は3時半入りだったので11時に起きまして
何も食べないで会場に入ったんだけど
みんなは今日は仕事だろ ようこそ
エブリバーデー OH YEAH! エブリバーデー
最後まで楽しんでくれ
オレたちゃ今日もドーーンと行くぜ~ エブリバデー!

と、以前もご紹介しましたが、こんな即興の歌を歌っていました。渋谷AXで初のライブだったみたいです。
↓は渋谷AXの外観。場所はNHKホールや代々木競技場に近いあたり。


渋谷AXは、ZEPP TOKYOほど広くなく、横に長い、わりとこぢんまりした箱で、
そこにみっしり集まった聴衆のノリが、映像見ててもすばらしいのです。
(ああ、混ざりたい)
それに最初、宮本さんがびっくりしている感じでした。
あまりにもお客さんの熱気、盛り上がりがすごくて、
ステージ上もどんどん気合いが入って(もともと気合いすごいですけど)、
アクセルが徐々に加速される感じが映像を見ていてもよくわかる。
で、その壇上の4人の熱に、またさらにお客さんがつられてヒートアップしていく。
宮本さんのMCも少なく、ちょっとしゃべっても、キレがいい。
ステージ上と客席が互いにいい「気」を送り合ってるように見えました。
トリプルアンコールの拍手にこたえてメンバーが出てきたんですけど、
「やる曲がないんです」と宮本さんが言って、なぜか「人間なんてららら~」(吉田拓郎の曲?)と
歌いながらステージを往復してから袖にはけていきました。
アンコールにこたえて演奏しないで出てくるだけ、というのも珍しかった。
きっとライブが納得できる内容で嬉しかったのかな。

それから、最後の最後の曲が“四月の風”でした。この頃、アンコールでこの曲をよくやっていました。
「good morning」のあと「ライフ」の前の時期で、
やる曲も「good morning」の曲が大半を占めていて、
なんとなくイケイケの名残があるセットリストだったんですけど、
最後のこの“四月の風”、
今見ると、何かを確かめるように、呼び戻すように演奏されているように見えました。考えすぎかな。

この渋谷AXが2001年の最後のライブで、翌年2002年は新春ライブはありませんでした。
2001年の武道館は、動員があまりよくないなあ、これだと来年は武道館ないだろうな、
と思っていたら、2002年は新春ライブそのものがなくて、とてもさみしいお正月でした。
2002年4月、ハービー山口氏の番組「the roots」に出演。
この翌月、アルバム「ライフ」が発売され、DVDにもなっている渋谷公会堂のライブがあり。
渋公で垣間見せた宮本さんの焦燥、怒りは何に対するものだったんだろう。
でもその年の末には、ミニアルバム「DEAD OR ALIVE」がリリース。
セールスもライブの動員もジリ貧となりつつあった東芝の初期というのはおそらく長い葛藤の時期で、
(「the roots」を見ていても、そういうのが少し透けて見える気がする)
それでもその果てに≪自ら墜ちてゆく我が身≫(“未来の生命体”)と歌い始めるエレカシの冷静さとタフさ。やっぱりすごいなと思います。
2001年、2002年のライブ映像を、たまたま続けて見て、少しいろんなことを思い出しました。

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