エレカシ・宮本ソロ_アルバム

『浮世の夢』特集

10月14日の野音が終わってから、『浮世の夢』を繰り返し聴いていました。
というわけで『浮世の夢』特集です。といっても、個人的な感想を並べただけですが……

「序曲」夢のちまた
先日10月14日の野音の1曲目。
この曲は本当に野音のイメージが強くて、
あのはかなげなギターのイントロをきくと、
パブロフの犬のように、暮れかけた日比谷の、緑とビルに囲まれたすり鉢状の会場が頭に浮かびます。
昨年発売された「エレファントカシマシ EPIC映像作品集 1988-1994」にも収録されています。1991年の3000席限定の武道館の映像。これがまたすばらしい。

うつら うつら
これもこの間の野音で演奏されました。”月の夜”のあと、”見果てぬ夢”の前。なんという流れ。ぎゅっと「野音」の空気が濃縮されてるようなくだりでした。
詞に雀が出てきます。
≪炬燵にくるまって小鳥の声に遊べば/遥かに森が見える ああ うつらうつら≫
夢かうつつか、もうろうとして、すべてが幻のように見える景色の描写、そんな中での、
≪何をしよう浮世の夢 ふさぐ 目をふさぎ聞いている≫
この重たい1行。次なる名作『生活』につながる1曲だったのかもしれません。

上野の山
最初は≪花見なんぞのどこがいい≫と歌っているのに、
後半≪何やら少し騒ぎたく 俺も花見に入れてくれ≫。
鼻歌のような明るい曲調で、こんな茫漠とした鬱屈を歌いあげる。初めて聴いた時、がつんとやられました。エレカシは底知れない、としみじみ思いました。

GT
ライブでやられると、ぶぁっとテンションが上がる曲。
≪走りなれたるこの道を 車走らっせ≫
アップテンポで軽快なロケンローなのですが、≪涙ためたる笑い顔 つかの間の夢さえも すり減らす≫という詞に果てしない虚無感が。明るいサウンドがことさらにそれを際立たせます。

珍奇男
ライブでの定番曲。年代物の男椅子、アコギからエレキへのギターチェンジとともにエレカシの名物。
≪机さん机さん 私はばかでしょうか/はたらいている皆さん 私はばかなのでしょうか≫
初めて聴いた時はびっくりして、こんなふうに歌う人を他に知らなかったので、
だけど、まったく理解できない詞ではなく、むしろ共感めいた感情を抱いた私はそのことにも驚いて、
ずぶずぶとエレカシの沼にはまっていくきっかけとなった一曲でした。

浮雲男
先日の野音では、MCの中に登場。「浮雲男がタバコやめちゃうなんてねえ」みたいな感じで。
タバコをくゆらす男。煙が雲になると言って笑われている男。のどかなような、物悲しいような、煙が吸い込まれる空はおそらく青空で、その青さもどこかせつない感じがいたします。

見果てぬ夢
個人的にものすごーーく好きな曲で、だからこの間の野音でやってくれた時は本当にうれしかった。うれしかったんだけれども、ちょっとハラハラしました。
この曲は静かに始まるのですが、サビは一転、かなりのハイトーンで絶叫になるのです。
弾き語りとはいえ、この曲やって大丈夫なんだろうか。
いらぬ心配でした。よかったです。いい歌いっぷりでした。多分、本調子ではなかったとは思うけど、そのぎりぎり感にぐっときました。ちょっと泣きそうになりました。

月と歩いた
『浮世の夢』を聴き始めの、まだタイトルと曲が一致しない頃は、この曲は2曲分だと勘違いしていました。
それぐらい途中でがらっと曲調が変わります。
ツボは、ブーッブーッブーッの車の部が終わり、散歩の部に戻り、≪少し静かにしてくれないか≫のところ。
基本的にこの歌はシリアスな歌だと思うのですが、この部分、なんとも言えないおかしみがあって、たまらなく好きなのです。面白うてやがてかなしき……という感じ。

冬の夜
エレカシには冬ソングが多いけれど、その中でも”未来の生命体”と1、2を争うぐらい好きな冬の曲。”月と歩いた”は2曲分あると思っていた私ですが、”月と歩いた”の散歩の部と、この”冬の夜”は、まとめて1曲?と思ってしまうほど、とてもスムーズに曲がつながっています。≪かたい地面枯れ葉ふんで 家についた≫という詞がいいです。好きです。あと、≪冬のにおいと北風の中≫。五感が刺激される名曲。

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浮世。
”男は行く”にもこの「浮世」という言葉はとても印象的な形で登場します。
20代前半のあの頃、宮本さんにとってとても大きなテーマだったのかもしれません。

『浮世の夢』はやっぱりヘビーなアルバムだと思う。でも、それに浸り切らず、一見そうとわからないぐらいの表現にしてる。どの曲も多面的。日常の中の絶望や悲しみを直接的に投げつけるのではなく、例えば最初の2曲は、一度真綿でくるんでそっと差し出しているようなたたずまいがあります。
言葉が合ってるかわからないけれど、コンセプトアルバムというのでしょうか。曲はバラエティに富んでいても、全体を通じて貫いている何かがあるような気がします。

エレカシの入口が”悲しみの果て”だった私は、
エピック時代の曲は、1枚1枚アルバムを買いながらさかのぼって聴きました。
ファーストやセカンド、『東京の空』あたりは、早めに入手して結構聴きこんだ気がするし、
敷居は高いと思いつつも『生活』は、エレカシファンならば聴かなければ!
というわけのわからない気合いでがんばって聴いていました。
『浮世の夢』はいつ頃買ったんだろう。覚えてないぐらい、最初の出会いは薄かった(笑)。

ですが、このアルバムの曲たち、野音で演奏されるたびに、ノックアウトされました。
野音に行くごとに、『浮世の夢』の曲が一曲一曲、体の中に入ってきたという感じでした。
ある年は”上野の山”、ある年は”GT”、ある年は”月と歩いた”というように。
だから、『浮世の夢』は私の中で野音のイメージが強いのかもしれません。

あの日の野音で、『浮世の夢』から3曲を選んで歌った宮本さん。
たくさん曲はあるけど、自然とやりたい曲はすぐ決まるんだ、みたいなことを武道館だったかな、何かのMCで言ってたような気がします。『浮世の夢』。今の宮本さんの心情に響く何かがあったのかもしれない。
想像するしかないけれど、『浮世の夢』がそばにあったんだろうなと思いました。
古い友達がそばにいるみたいに、昔つくった曲たちが寄り添うように宮本さんのそばにいて、
きっとやさしかったんだろうなと思いました。
変な言い方ですねえ。でもなんとなくそんな感じがしました。

https://wabisuke-zakki.com/archives/15323368.html

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