リリース
MV
ライブ
ライブ映像
- 奴隷天国/誰かのささやき/デーデ/東京の空(w/近藤等則)/ファイティングマン
※1 「エレファントカシマシ EPIC映像作品集 1988-1994」
※2 「東京の空」のみ:「All Time Best Album THE FIGHTING MAN」
【初回限定盤】映像特典
1994年のトピック
契約切れ
宮本浩次「僕は忘れもしない、契約切れたっていうその翌日に、”この世は最高!”って曲の歌詞を書いたんだから。」
2009年5月号 ROCKIN’ ON JAPAN
最高最高 殺られるまではくたばりゃしねぇぜ
エレファントカシマシ「この世は最高!」
最高最高 この世は最高死ぬまでやめられねぇ
くじらとの対バンで
宮本「くじらっていうバンドと、学園祭で対バンした時あるんですよ。俺、そん時から変えたの」
--それいつ頃?
宮本「7枚目の『東京の空』のあとぐらいかな。千葉の市川駅の前に(CLUB)GIOっていうライヴハウスがあるんですよ。そこで、『サンキュー』ってすげえいっぱい言っちゃって。言い過ぎたかな、言い過ぎたかなっていうのが気になったんだけど、そのくらいから変えたの」
ROCKIN’ ON JAPAN 2009年5月号
HPを見たら市川CLUB GIOのライブは、1994年7月13日でした(ライブハウス自体は閉店しているそうです)
サンキュー言い過ぎたって、一体どれだけ言ったんだろうか。
ドキュメンタリー「the fighting men’s chronicle エレファントカシマシ」の中で漫画家の新井英樹氏が、市川のライブのことを話しています。
エレカシが売れず事務所をクビになるらしいとの噂が流れ、
「大丈夫かエレカシ。大丈夫か宮本」って話をライブ始まる前にみんなボソボソ言ってんですよ。そしたらその場にそぐわないスーツ着たおっさんたちが3、4人いて、「あれ、新しい契約先の会社の人達じゃないか? そしたらこのライブ盛り上げないと、エレカシ新たな契約できないぞって言って(笑)、なんとなくみんなでボソボソ「盛り上がろう」「盛り上がろう」って(笑)。
「the fighting men’s chronicle エレファントカシマシ」(新井英樹)
このエピソード、大好きです。きっとそれまでは腕組んでじーっと見入る感じだったのが、ここはひとつエレカシのために盛り上がろうじゃないかと。「スーツを着たおっさん」が目に浮かぶ(笑)。「盛り上がろう」ってボソボソ言い合うのがちょっとほんといいですよねぇ……エレカシ愛ですねぇ
「エピック映像作品集」に1994年の日比谷野音の映像も入ってますが、1曲目の「奴隷天国」から宮本さん、かなりはっちゃけてます。ステージに出る舞台袖から前のめりでテンション高い。
時々映る客席を見てると、中盤の「誰かのささやき」はほとんど座ってて、終盤の「ファイティングマン」は、立ち上がってノリノリの人と座ったままの人と半々くらい。変わり目のライブという感じ。その変化に面食らった人も多かったんだろうなあ。宮本さん、確かに「サンキュー!」を連呼してました。
ゲストミュージシャン
「東京の空」というアルバムは、ゲストミュージシャンが多いのも新機軸。
「東京の空」(タイトル曲)で参加したトランペッターの近藤等則氏は、1994年の日比谷野音にも登場したし、2000年、近藤さんのイベントにエレカシが呼ばれて、近藤さんと一緒に「東京の空」をやっていました。(2000.07.30 山梨県河口湖ステラシアター 『Mt.Fuji Aid 2000』)
元BO GUMBOSのKYONも何曲かピアノやオルガンで参加しています。私はこの頃は音楽から離れていて、このへんのこと全然知らなかったんですけど、後追いで聴いて、KYONの参加を知った時はちょっとうれしかったです。特に「真冬のロマンチック」はKYONらしい、はねたピアノですごくかっこよかった。
ライナーノーツ
当年とって28、未だ成功も失敗も知らないこの世の半可通宮本浩次、 すなわち俺がその男よ
アルバム「東京の空」ライナーノーツ
どうですか。宮本節全開ですね。
アルバム「good morning」の時の檄文もそうだったけど、会心の作品ができた時は勢いもあるだろうし、その勢いのまま文章にもいいリズムが乗るんでしょうねえ
AAAで桑田佳祐、泉谷しげる、ミスチルと
この年は、「ACT AGAINST AIDS ’94」というイベントに参加しています。ミスチルと桑田さんと泉谷さんと一緒に武道館のステージに立ったそうです。
そのイベントで「勝手にシンドバッド」を皆で合唱することになり、事前に宮本さんは練習し歌を暗記していったらしいのですが、
宮本「したら急に小林武史が、第九に変えたっつって第九を歌って(笑)」
2009年5月号 ROCKIN’ ON JAPAN
冨永「ははははは!」
宮本「(笑)まあいいんだけど。俺、がっかりしちゃって。で、打ち上げでそう言ったら泉谷さんが、『桑田、馬鹿野郎! 宮本が一生懸命おまえ、”勝手にシンドバッド”練習してきたんだから、歌わしてやれよ!』っつって」
石森・冨永「ははははは」
宮本「それから原由子がタンバリン叩く前で”勝手にシンドバッド”歌ったの」
なんですかこのエピソードたまらんですね。ツボ満載ですね。がっかりしちゃう宮本浩次、桑田さんを馬鹿野郎呼ばわりの泉谷さん。「急に小林武史が」のくだりとかも(笑)
宮本さんの歌う「勝手にシンドバッド」、どんな感じなんだろう一体。興味深すぎる。
当時のエレカシの状況をわかって呼ばれた感じなのかな。先輩たちは遠巻きながらエレカシの行く末を心配していたのかなあという気がします。
星の降るような夜に
宮本浩次「成ちゃんが作ってきた”星の降るような夜に”っていう歌、やっぱりこれは嬉しかったですよねえ。(中略)彼女のことを歌った詞で、それがなんかすっごくいい詞でなんか涙が出ちゃったんですね、僕。そのとき結婚するって知らなかったんですけど。そしたら実は結婚するっていう、僕はそれ聞いたときはすっごく爽やかな気持ちになれました。これはもうイヤミでもなんでもなくて本当にそういうふうに思って」
bridge NOVEMBER 1997 VOL.16 CUT11月号増刊
これもすごくすごーく好きなエピソードです。
「星の降るような夜に」の作詞作曲のクレジットは、成ちゃんと宮本さんの連名だけど、元は成ちゃんが作ってきたと。彼女のことを歌った歌ですってよ奥さん。はー。言葉がシンプルでまっすぐなんですよねえ。エレカシの曲はそういう曲もすごく多いけど、この曲はとりわけ素直で明るい。なおかつ絶妙な”行間”は、聴く時の年齢、聴く人の場面場面で、いろんな沁み方をしてくる曲。懐が深い。
《歩こうぜ歩こうぜ》こんなシンプルな詞がどうしてこうも沁みるでしょうか。加藤美樹さんのラジオで成ちゃんのことを「汚れてない。素直」と言っていた宮本さんでしたが、その感じがこの曲にほんとによく出ている気がします。
侘助的回想
1994年。私はエレカシとはまだ距離があります。
そしてエピックソニー最後の年ですね。
契約は終わりになってしまうけれど、エピソードを並べてみると、どれもなんとなく前向きで明るい。
ブレイクという跳び箱があるとすれば、この年にはもう踏切台を踏んでる感じはします。今思うと。
しかし、振り返るとそう思えるのであって、当時はやっぱり、契約切れってすごいショックだったろうなあと思う。じわじわきた、と先日のFM COCOLOのラジオでも話してたし。どうしたって、厳しい現実と向き合わざるを得ない。
宮本浩次「曲作ってたんですけど『ミヤジ、今回でもうアルバム出せなくなっちゃうんだよ』ってレコード会社の人が。レコーディング中に言われて」
FM COCOLO RADIO EUTOPIA/2017.02.04
「アルバム出せなくなっちゃう」という言葉。しかもレコーディングの時に。金銭的なこともあるけど、ミュージシャンとして、表現者として、創作活動の場が奪われるのは、本当にしんどい話だったと思う。
《くたばりゃしねえぜ》と歌うことで己を奮い立たせながらも、魔がさすように訪れる絶望の夜も何度となく過ごしたんだろうと思う。
「悲しみの果て」がうまれるまであともう少し。