ユニバーサルのベスト盤を入手し、
聴く音楽もおのずと、絶賛ユニバーサル祭り真っ只中な私ですが、
そういえばユニバーサルに移籍したときはどんな感じだったっけ、
とふと思ってみたりしたのですが、これがなんともうろ覚えで……
東芝との契約が切れた、というのは、2006年の末頃になんとなくネットで知って、
わりとそれからすぐ、2007年に入ってすぐにユニバーサルへ移籍が決まった、と発表されました。
2006年は、トミの病気という心配なニュースもあったけど、
「町を見下ろす丘」は本当にいいアルバムだったし、
そのツアー(”今をかきならせ”ツアー)も日比谷の野音もすごくよかったので、
年末に契約切れの噂を聴いても、
一体どうなるんだろうねえ、と友達と話しはしたけど、
そこまでの心配はしていなかったというか。心配は心配でしたが……
バンドの状態は確実に上向いていたので、
ファンの盲目な思い込みで「この日本の宝を放っておいてどうする」ぐらいの気持ちでいました。
エレカシは新曲作りのために下北沢でライヴをしたことがあり(おそらく2005年)、
ユニバーサルの人がそれをを見に来たことがあったそうです。
で、その人がライヴに感銘を受けたことが移籍につながったとのこと。
宮本浩次「下北のライヴっていうのが、あんまり評判よくなかったんですよ。でも、僕はそれわかってたんです。そういうふうになるだろうなって。ただ4人で新しくやってくんだったら、緊張感のあるところで、自分たちのダサいとこも含めてやんなきゃいけないんじゃないかとかいろいろ考えていたんで」
「それで、その人がどこを観てたのか知らないですけど、(中略)僕らを何か別のところでカッコいいって認めてくれたっていうのが、ほんとに、奇跡に近いっていうか。それで、新しいレコード会社で、『シングルで新しいファンを獲得していこう』っていう話になって」
2007年のbridge VOL.54
「日本の宝を放っておいてどうする」と私がひとりジリジリするずっと前に、
ちゃんと見ている人は見てたんですね。
2006年は、エレカシも新たなスタートに向けて、じゃんじゃん曲作りに邁進していた時期だったということか。
そういうのは伝わるものなんでしょうか、2006年のエレカシはライブ見てても圧倒的でパワフルで、
「俺たちの明日」が世に出る2007年という年に自然とつながっていった、
今思えばそういう1年だったような気がします。