年別活動振り返り

1995年(エレカシのリリース、ライブなどを振り返る)

ライブ

06月21日(水) 下北沢シェルター
など

ライブ映像

「All Time Best Album THE FIGHTING MAN(デラックス盤)」特典 1995.6.21 下北沢シェルターLIVE映像(9曲収録)
  • 夢を見ようぜ/ライヴにせかされて/悲しみの果て/baby自転車/孤独な旅人/baby baby/さよならばかり/始まりはいつも/花男
「All Time Best Album THE FIGHTING MAN(初回限定盤)」特典
  • 悲しみの果て(1995.6.21 下北沢シェルターLIVE映像)

ライブ音源

完全限定生産 6枚組ライブブートレグBOX[the fighting men’s chronicle] ~ THE ELEPHANT KASHIMASHI official live bootleg box
【Disc 1】complete unknown ~ days of shimokitazawa(1995.6.21 下北沢 SHELTER)
  • 夢を見ようぜ/ライブにせかされて/悲しみの果て/Baby自転車/孤独な旅人/BABY BABY/さよならばかり/始まりはいつも/花男
【Disc 2】who’s next – select from 渋谷クアトロマンスリー ’95 to ’96(1995.11.30 渋谷クラブクアトロ)
  • 男は行く/夢を見ようぜ/孤独な旅人/悲しみの果て/やさしさ/珍奇男/星の降るような夜に/男餓鬼道空っ風/Baby自転車/涙/ファイティングマン/奴隷天国/おはよう こんにちは/GT
 
bootleg

1995年のトピック

下北沢のライブハウス

1995年はレコード会社との契約もなく、インディーズで活動していた時期。下北沢の小さな箱でライブをしていたようです。
6月21日下北沢シェルターの音源は、赤箱(6枚組ライブ盤)に収録されているし、今月発売になるベスト盤「All Time Best Album THE FIGHTING MAN」のデラックス盤の特典映像としても収録されるようです。初回盤にも「悲しみの果て」が入るんですね。

「下北っていい町でさ。俺達は契約切れてんのに、みんな温かいんだよね。
別にシェルターの店長さんとかとも全然話してないんだけど、でも凄い優しいの。それはライブハウスに入った瞬間にわかるんだよね。だから俺達も張り切って」

(MUSICA 2008年4月号 vol.12)

この時期の下北沢の話になると宮本さんはいつも懐かしそうに穏やかに話している気がします。
赤本(「明日に向かって歩け!」)では、「宮本をめぐる東京・武蔵野三十三景」のひとつに下北沢シェルターが挙げられています。契約切れの時に、シェルター発行の小冊子の表紙にエレカシを使ってくれ、とても勇気づけられたそうです。
全然話してないのに、優しい。いい話だ。シェルターの店長をはじめ、契約切れになったエレカシを応援している大人たちが少なからずいたんですね。
その「気」はひしひしと肌で感じていたんだろうし、そういうのも創作やライブに向かう時の励みにしていたんでしょうねぇ

悲しみの果て

宮本浩次「直な感じがすごくよかったんですよ。そこのお客さんに”悲しみの果て”歌うんだよね。それがすごい嬉しい経験で。ミュージシャンっぽいって言っちゃ変なんだけど、当たり前の感じをすごい感じてて。初めてなんだよね、実はね」

(ROCKIN’ ON JAPAN 2010年12月号)

直に歌う感じが嬉しい、そういうのは実は初めてであると。守られる事務所もなく安定した契約もなく、社会に直接向かい合う。目覚める、目覚めさせられることも多かったのかもしれません。

ダイノジの大谷さんが、シェルターのエレカシを見に行ったことがあったそうです。芸人としてスタートした20代の頃を、よく聴いていたエレカシとからめてご自身のブログで振り返っていました。
(2013年の活動休止の頃の記事で、最後の「宮本さんがちょっと休憩してるけど、なぁに絶対にエレカシは戻ってくる」という1行には本当に励まされました…)

宮本はひたすら動いてました。でも、全部ぎこちない。もうね、原始人でしたね。ウパーッって叫んでいる感じ。ただ圧倒的なエネルギーを感じました。(中略)で、新曲やったんです。「悲しみの果て」。びっくりした。エモーショナルで前向きで、でもやっぱりちょっとシニカルで哀愁があって。

(ダイノジ大谷の「楽しい工房」/俺らとエレファントカシマシ)

このシェルターで「悲しみの果て」をやったことは、バンド側にとっても、見る側にとっても、大事件だったんでしょうねぇ
1994年頃からライブのノリ?が変わったりして、当時のお客さんもエレカシの変化を少しずつ感じていたんでしょうけど、初めて「悲しみの果て」を聴いた時の衝撃たるや、ほんとにすごかったんだろうなあと思います。

中国語を習う

結果的に次の事務所と契約を結ぶまで、約一年半程、これといった収入の無い、いわば浪人の時期を過ごした。
そんな折、俺はふと、「ひとつテレビの語学番組で勉強してみよう」と思った。何でそう思ったのかわからない。ただ、語学をやるんだったら、もともと好きだった悠久の大地、中国の言葉がいいと思った。

(宮本浩次「明日に向かって走れ」P.72)

漱石や森鴎外の漢文的な匂いのする文章に男らしさを感じ、間接的に中国に憧れを持ったんじゃないだろうか、とも赤本には書いてありました。数年後、中国好き(急須好き?)が高じて宮本さんは中国へ旅行することになります。
テレビと言えば、宮本さんはドラマ「愛していると言ってくれ」が好きだと言っていたけど、このドラマも1995年なんですね。舞台が吉祥寺で井の頭公園がよく出てきて。私ものめりこんで見てたなー。懐かしい。

コンサートやりてえな

冨永「俺、閉店したあとのパチンコ屋の掃除とかやってたのね。そん時に音楽とか流れててさ。売れてる曲が勝手に流れてんだけど、そういうの聴きながら羨ましいなとか、コンサートやりてえなとかってずっと思ってたんだけど。で、下北でやるのもやっぱ嬉しくてさ。お客さん来てくれるから」

(ROCKIN’ ON JAPAN 2009年5月号)

メンバーはバンド以外にアルバイトをしていたようです。石くんは寿司の出前とかでしたっけ、何かで言ってたな。
普段あまりしゃべらないトミのこのコメント……パチンコ屋のBGM聴きながらとか……もうぐっときちゃいますね。ふだん街のパチンコ屋見ただけで泣きそうになります(←不審…)。コンサートやりたいとかこういった気持ちが当時のメンバーを支えてたんだろうなあ。

侘助的回想

1995年。この年も、私にはまだ直接的な思い出はありません。

エレカシが活動休止していた2013年に、1995年の下北沢シェルターの音源や映像が解禁され、いろんな形で鑑賞することができました。
赤箱にはシェルターのライブ音源が入っていたし、タワレコ渋谷8階で催された「戦う男の25周年展」では、シェルターの映像が、開催期間中毎日流されました。

これもまた2013年。
ドキュメンタリー「the fighting men’s chronicle」を映画館で観た時、シェルターの「悲しみの果て」がとても印象的でした。
6月21日、シェルターで初めて披露されたという「悲しみの果て」。
思い入れたっぷりの前口上もなく、さらっと曲を始めました。
なんでしょうね。こんな稀代の名曲の初披露がここまであっさりしてるとは。演奏自体はほんとに素晴らしいんだけど、前フリがすごいさらっとしてるのです。エレカシらしい。
でも見ているうちに、ぐっときちゃうんです、この映像。

鹿野「この曲を作った時に、起死回生の一撃になるっていう確信はあったんですか?」
宮本「あーこの曲はすごく嬉しかったんですね。”四月の風”っていう曲とこの曲があって。どっちも好きな曲なんだけど。シングル出すっていった時に、”悲しみの果て”を絶対1曲目にしてほしかったの。この曲が俺たちの新しい顔、看板になってくっていうふうに思ったからみんなを説得して」

(アーティストプロデュース・スーパー・エディション「エレファントカシマシ」2017年3月第1回)

トミや石くんはバイトをしつつ、ライブハウスでのライブを楽しみにしながら、ミヤジはテープを持ってレコード会社に営業回り、一日の終わりにファミレスでメンバーと会う。どこにも属さず何の後ろ盾のない4人だけの時代。
いい曲ができてうれしかっただろうなあ。そして4人でたくさん練習したんだろうなぁ。4人が狭いスタジオで向き合って、黙々と演奏している様子が目に浮かぶようです。

削ぎ落とされた言葉。少ない音数。強いリズム。美しいメロディ。この時期だからこそ生まれたエレカシの名曲はきっと、演奏するメンバー自身をも鼓舞し勇気づけたのだと思います。

エレファントカシマシが新しいマネージメント、新しいレコード会社のもと完全に活動を再開する。ついに、する。ついにするぞ!(山崎洋一郎)

(「風に吹かれて~エレファントカシマシの軌跡~」p.421)

山崎さんのこの喜々とした記事が掲載されたのがROCKIN’ ON JAPAN95年12月号。
いよいよついに。機は熟し、”新生”エレカシの快進撃が始まります。

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