「冬の花」よかったですよね。わたくし正直に言うと、「冬の花」にあんまりピンときておりませんでしたが、どうもすみません!と全力で土下座をしなきゃいけないほどすばらしかった。
宮本が民生にヘッドロック!
「雨上がりの夜空に」の間奏の時、
トータスにもじゃれていたけど、まず民生にからんでいった。
私はテレビの前でなんともいえない感慨にひたっておりました。
奥田民生と宮本浩次
ソニーミュージックオーディションの出身で、
しかも同じ1986年開催のオーディションに参加してるんですね。
Sony Music audition/過去のオーディションhttp://www.sonymusic.co.jp/sd/about/audition1980.html
これもちょうど一年違い。
その年にエレカシが出したのはアルバム「浮世の夢」。<机さん机さん私はバカでしょうか>の「珍奇男」が収録された3rdアルバムです。
90年代のユニコーンとエレカシ
1993年、ユニコーンは解散し、1994年に奥田民生はソロとしてデビュー。「愛のために」が大ヒットします。
一方のエレカシは、1994年のアルバム「東京の空」を最後にエピックソニーとの契約が終了。下北沢の小さなライブハウスでライブをしたり、新曲のデモテープを売り込んだりしていました。
当時の俺は、レコード会社とメジャー契約を結んでいない、いわばフリーの状態で、対外的に見れば何のことはない、無職の、良くいえば自由、悪くいえばやたら暇なミュージシャン休職中の俺。(中略)当時ヒット曲を出していた人たちは、奥田民生や、ミスチルや、小沢健二や、スピッツやらで、俺は自分の身を思うと実に不甲斐なさにいてもたってもいられぬ思いだった。
(宮本浩次「明日に向かって歩け!」)
2000年 奥田民生「マシマロ」
1990年代後半の楽曲は、エレカシも奥田民生も
ライブで必ず演奏される代表曲となります。
民生→エレカシへの言葉
吉井「あと、(エレカシの)宮本君と民生君て、ちょっと似ちゃう時あるよね」
奥田「あ、宮本君ね。宮本君も気持ちよ~く歌えますよ。やっぱキーとかも大体おんなじような。やっぱりでもそこにはね、その三者の上にはね、なんかその、例えばサブちゃんみたいな、日本の心があるよね?それはだからジョン・レノンとかじゃないんだよ、共通しているのは。たぶん」
(BRIDGE 2000年05月号)
エレカシは2017年に30周年イヤーを迎えましたが、奥田民生がこんなコメントを寄せていました。
(あなたがエレファントカシマシに対して思うこと、もしくは、あなたにとってのエレファントカシマシの強い思い出を教えてください。)
ユニコーンがデビューした次の年くらいに、新しいバンドだと聞かせてもらいました。
たまげた。
すごい声だなと思いました。
イメージは今もそのままです。(あなたはエレファントカシマシからどんな影響を受けましたか?
もしくは、エレファントカシマシは日本の音楽シーンにとってどのような存在だと思いますか?)
シンプルな音にのせて、でかい声で、
言いたいことを言うバンドはありそうでないです。
なので、エレカシはすごいです。(ROCKIN‘ ON JAPAN 2017年5月号)
そうか、民生はエレカシのことをこんなふうに見てたのかと。
これ以上ないくらいのストレートなコメントで。
民生のバンド観
以前、民生が
奥田民生「やっぱり解散した時は、ちょっと残念じゃない。残念だったんですよ、やっぱりね。ストーンズみたいになれないのかというところがまずあるわけですから」
(CUT 2009年5月号)
と言っていたのもちょっと思い出して。
思っている以上に、民生は”バンド”というものにこだわりがあったんだと思って。
両者で何かやってほしいとかは特別なかったんですけど、
ちょっとコメントとかインタビューとかで
話題になるたびにおおーーとなってはいたんですね。
特に、何を「恥」とするかというそのへんの美学は
民生とエレカシは似ているような気がするんです。そこからくる笑いのセンスとかね。
お互い、常に目の端で気になる存在であったのではないかなあ、という気はします。
過去のヒット曲だけでなく、常に新曲を発表し続けるその現役感は本当に頼もしい。
だから何やねん。といわれてしまえば、なんもないんですけどね(笑)
50を超えたおじさんたちがわちゃわちゃ楽しそうにやってるってだけで、ただただうれしかったというか。
ここにきて二人のネタがいろいろ出てきておもしろい。
NHK片山千恵子アナブログ/スター集結!冬の星空ソング<カーリングシトーンズ・宮本浩次・山本彩>
https://www.nhk.or.jp/utacon-blog/500/416441.html
