奥田民生と宮本浩次―2019.11.26 NHK「うたコン」-

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(今さらながら、うたコンを振り返りつつ)
宮本浩次がやった曲はRCのカバー「雨上がりの夜空に」と「冬の花」。

「冬の花」よかったですよね。わたくし正直に言うと、「冬の花」にあんまりピンときておりませんでしたが、どうもすみません!と全力で土下座をしなきゃいけないほどすばらしかった。

目次

宮本が民生にヘッドロック!

そしてもうひとつ。いろんな意味ですごかった「雨上がりの夜空に」。
この日、カーリングシトーンズ(寺岡呼人、奥田民生、斉藤和義、浜崎貴司、YO-KING、トータス松本のユニット)もゲストで
ステージ下手の出演者席の前列には、寺岡、奥田、トータスが並んで座っていたんですが、
「雨上がりの夜空に」の間奏の時、
すたすたとそこへ近づいた宮本、おもむろに奥田民生をヘッドロックしたのです。

トータスにもじゃれていたけど、まず民生にからんでいった。

宮本が!民生に!
おおーーー。
私はテレビの前でなんともいえない感慨にひたっておりました。

奥田民生と宮本浩次

奥田民生、1965年5月12日生まれ。広島県出身。
宮本浩次、1966年6月12日生まれ。東京都出身。
一歳違い。
有名な話ですが、ユニコーンとエレファントカシマシは、
ソニーミュージックオーディションの出身で、

しかも同じ1986年開催のオーディションに参加してるんですね。

Sony Music audition/過去のオーディションhttp://www.sonymusic.co.jp/sd/about/audition1980.html

デビューは
ユニコーンは1987年、アルバム「BOOM」で
エレファントカシマシは1988年、シングル「デーデ」とアルバム「THE ELEPHANT KASHIMAHI」で。

これもちょうど一年違い。

世はバブル景気に沸き、音楽界はバンドブーム。その喧騒の真ん中にいたユニコーンに対して、ブームには背を向け異彩を放っていたエレカシ。
ユニコーンの「大迷惑」がヒットしたのは1989年。

その年にエレカシが出したのはアルバム「浮世の夢」。<机さん机さん私はバカでしょうか>の「珍奇男」が収録された3rdアルバムです。

90年代のユニコーンとエレカシ

1993年、ユニコーンは解散し、1994年に奥田民生はソロとしてデビュー。「愛のために」が大ヒットします。

一方のエレカシは、1994年のアルバム「東京の空」を最後にエピックソニーとの契約が終了。下北沢の小さなライブハウスでライブをしたり、新曲のデモテープを売り込んだりしていました。

当時の俺は、レコード会社とメジャー契約を結んでいない、いわばフリーの状態で、対外的に見れば何のことはない、無職の、良くいえば自由、悪くいえばやたら暇なミュージシャン休職中の俺。(中略)当時ヒット曲を出していた人たちは、奥田民生や、ミスチルや、小沢健二や、スピッツやらで、俺は自分の身を思うと実に不甲斐なさにいてもたってもいられぬ思いだった。
(宮本浩次「明日に向かって歩け!」)

「いてもたってもいられぬ思い」をバネに、エレカシは1996年、ポニーキャニオンと契約を結び、新しい事務所で再スタートを切ります。
1996年 エレファントカシマシ「悲しみの果て」
1997年 エレファントカシマシ「今宵の月のように」
1996年 奥田民生「イージュー☆ライダー」
1998年 奥田民生「さすらい」
1999年 エレファントカシマシ「ガストロンジャー」

2000年 奥田民生「マシマロ」

1990年代後半の楽曲は、エレカシも奥田民生も
ライブで必ず演奏される代表曲となります。

民生→エレカシへの言葉

奥田民生が吉井和哉との対談で宮本浩次について語ったインタビューがあります。

吉井「あと、(エレカシの)宮本君と民生君て、ちょっと似ちゃう時あるよね」
奥田「あ、宮本君ね。宮本君も気持ちよ~く歌えますよ。やっぱキーとかも大体おんなじような。やっぱりでもそこにはね、その三者の上にはね、なんかその、例えばサブちゃんみたいな、日本の心があるよね?それはだからジョン・レノンとかじゃないんだよ、共通しているのは。たぶん」
(BRIDGE 2000年05月号)

2000年代後半、エレカシはユニバーサルミュージックに移籍、
「俺たちの明日」をリリースし、新機軸のエレカシとして登場します。
そして2009年、ユニコーンが再始動を発表。以降、奥田民生はユニコーンとソロの両輪で活動を続けます。

エレカシは2017年に30周年イヤーを迎えましたが、奥田民生がこんなコメントを寄せていました。

(あなたがエレファントカシマシに対して思うこと、もしくは、あなたにとってのエレファントカシマシの強い思い出を教えてください。)
ユニコーンがデビューした次の年くらいに、新しいバンドだと聞かせてもらいました。
たまげた。
すごい声だなと思いました。
イメージは今もそのままです。

(あなたはエレファントカシマシからどんな影響を受けましたか?
もしくは、エレファントカシマシは日本の音楽シーンにとってどのような存在だと思いますか?)
シンプルな音にのせて、でかい声で、
言いたいことを言うバンドはありそうでないです。
なので、エレカシはすごいです。

(ROCKIN‘ ON JAPAN 2017年5月号)

このコメントもちょっとびっくりしたんですよね。
そうか、民生はエレカシのことをこんなふうに見てたのかと。
これ以上ないくらいのストレートなコメントで。

民生のバンド観

以前、民生が

奥田民生「やっぱり解散した時は、ちょっと残念じゃない。残念だったんですよ、やっぱりね。ストーンズみたいになれないのかというところがまずあるわけですから」
(CUT 2009年5月号)

と言っていたのもちょっと思い出して。

ひょうひょうとした民生が、実はこんなふうに残念がっていたのかと。
思っている以上に、民生は”バンド”というものにこだわりがあったんだと思って。
このコメントを思うと民生の「エレカシはすごいです」という言葉もまた違った意味も際立ってくるような気がするんですよね。
エレカシと奥田民生が好きでずっと見てきたけれど、両者の接点になるようなのは、せいぜい上に挙げたようなものくらいで
両者で何かやってほしいとかは特別なかったんですけど、
ちょっとコメントとかインタビューとかで
話題になるたびにおおーーとなってはいたんですね。
で、そんな二人がうたコンでからんだ。
チーム「サブちゃん」の二人がからんだ! とすごく興奮してしまったわけであります。
サブちゃん、という民生の言葉は、いろんな意味でそうだなあと思う。
特に、何を「恥」とするかというそのへんの美学は
民生とエレカシは似ているような気がするんです。そこからくる笑いのセンスとかね。
宮本の民生に対する思いというのが、どうだったのか、
全然何にも思わない対象だったのか、何らかの意識するところはあったのか、想像するだけで全然わかりませんけど

お互い、常に目の端で気になる存在であったのではないかなあ、という気はします。

同じ年に開催された同じオーディション出身の両者が、今もなお第一線で活躍し続けていることの奇跡。ほんとにそれはすごいことだなあと思う。

過去のヒット曲だけでなく、常に新曲を発表し続けるその現役感は本当に頼もしい。

うたコンを見て、なんだかぐっときてしまったので、いろいろ書き連ねてきましたが・・・

だから何やねん。といわれてしまえば、なんもないんですけどね(笑)

50を超えたおじさんたちがわちゃわちゃ楽しそうにやってるってだけで、ただただうれしかったというか。

最新号のJAPANの宮本浩次のインタビューにも、なんと奥田民生についてのコメントがありました。好意的なコメントで(笑)
CDJでは、民生がMCで「宮本」呼びしたらしく。

ここにきて二人のネタがいろいろ出てきておもしろい。

NHK片山千恵子アナブログ/スター集結!冬の星空ソング<カーリングシトーンズ・宮本浩次・山本彩>
https://www.nhk.or.jp/utacon-blog/500/416441.html

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