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2001年(エレカシのリリース、ライブなどを振り返る)

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リリース

2001.03.16 25th SINGLE『孤独な太陽』(c/w 東京ジェラシィ)
001.03.16 MV集『クリップス2』
コール アンド レスポンス/so many people/ガストロンジャー/はじまりは今/夢のかけら/ヒトコイシクテ、アイヲモトメテ/愛の夢をくれ/真夜中のヒーロー/武蔵野/ガストロンジャー
2001.07.25 26th SINGLE『暑中見舞 -憂鬱な午後-』

MV

  • 孤独な太陽
  • 暑中見舞 -憂鬱な午後-
    ※上記2曲「Clips 3 [DVD]」に収録

ライブ

01月04日(木) 日本武道館 (コンサートツアー Rock! Rock! Rock!)
07月07日(土) 、08日(日) 日比谷野外大音楽堂 (恒例!夏の野音2001)
など

ライブ映像

  • 悲しみの果て
    (2001年8月5日 茨城県国営ひたち海浜公園 ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2001/「ROCK’N ROLL BAND FES & EVENT LIVE HISTORY 1988-2011」)
  • 赤い薔薇
    (2001年日本武道館“新春ライブ” /「All Time Best Album THE FIGHTING MAN」【初回限定盤】映像特典)
  •  

ライブ音源

  • ガストロンジャー/孤独な旅人/悲しみの果て/ガストロンジャー/孤独な旅人/悲しみの果て
    (ライブ盤「日本 夏」ロックインジャパン ライブヒストリー I)

2001年のトピック

孤独な太陽

「『good morning』以降、出来てくる曲があまりにも静かで叙情的なことに、自分ながら戸惑いを感じていた」

宮本浩次「東京の空」 p.78.

2001年3月にリリースされた「孤独な太陽」。
初聴きはライブだったんですけど、《ビール》という歌詞が印象的でした。
エレカシの歌詞で《ビール》はすごく新鮮だった。
前作が「コールアンドレスポンス」で、しっとりした「孤独な太陽」との振り幅にはちょっと面食らったけど、今後はこういう方向性になるのかなあ……となんとなく思ったような気がします。

この曲のPVは独特で、酸素マスクをした宮本さんが登場します。

宮本浩次、パリへ行く

俺は別に建築家でもないのに、馬鹿にこの人に惚れ込んだものだ。わざわざその人の建物を見にパリまで来ちまったのである。

宮本浩次「明日に向かって歩け!」 P.164

この「建築家」とはル・コルビュジェ。
コルビュジェのソファLC2を買ったことをきっかけにこの建築家に興味を持ち、書籍をいろいろ(「建築をめざして」「ユルバニスム」他)読んだそうです。
「明日に向かって歩け!」によると、コルビュジェの建築を見るためにパリに発ったのは1月17日、滞在期間約2週間。
それまで宮本さんの趣味と言えば火鉢や古地図や急須……という日本および中国的なものだったのが、一気にヨーロッパに。
「今度はコルビュジェなのね」ファンとしてはまた新鮮なお題を頂きせっかくだからと、コルビュジェ関係の本を1冊がんばって読みました(影響されやすい)

暑中見舞 -憂鬱な午後-

宮本「『good morning』の後、またバンドでやろうかなと思い出してきて――たぶんひとりでやるのがつまんなくなっちゃったんでしょうね(笑)。それでバンドでリハに入ったりしてたんですが、なかなかアレンジが上手くいかなくて、じゃあプロデューサーを立てようか!となった時に、『憧れの小林さんとやりたい』って僕が言って」

MUSICA vol.13 2008年5月号

今回のオールタイムベストの”roll&spirit”にも入っている「暑中見舞 -憂鬱な午後-」はこの年の7月にリリース。
バンド一発録りだそうです。
宮本さんはYEN TOWN BANDのアルバムがすごく好きで、小林氏に依頼したとのこと。

リリースが発表された時、タイトルだけ先に聞いて「暑中見舞???」と、一体どういう曲なんだろうか………と「?」が頭の中で飛んだのを覚えています。
一聴して音はバンドっぽいなぁとは思ったけれど、イントロにピコピコ入ってたりして、また今までとは毛色が違うなぁという印象でした。

侘助的回想

2001年。前年ほどではないにしろ、まだまだ露出の多かった時期です。 バンド回帰、と完全に宣言するまでには行ききれてない……惑いの時期という感じなのかな。

当時私は、エレカシを見ながら惑いがあるとか、そんなふうには思ってなかったけど……でも、新曲の「孤独な太陽」を聴いたときはちょっと方向性変わるのかな? と思ったりして、否定的まではいかないけれど、その変化には、さびしさのようなものを感じ取っていたかもしれません。

とはいえ、私はまだエレカシ熱の高い時期が続いてました。ライブは、新春武道館、野音、Zepp、AX……と一通り行ったと思います。

2000年に新宿リキッドルームの、なんとも荒れたライブを経験した私でしたが、なぜかライブに行き続けます。 他のバンドだったらそんなことがあったらライブ行くのあっさりやめてしまうのだけど、エレカシの場合、「怒られる<かっこいい」という不等式がなぜか成立してしまい、その後もライブに行くことになるのでした。

2001年、個人的に思い出す光景は、日比谷野音。
最後、アンコールの最後にやったのが「四月の風」でした。
なぜ覚えているかというと、「good morning」がリリースされた2000年および翌年のライブというのは、そのアルバムの勢いでかなりイケイケな感じだったので、最後の「四月の風」という選曲が少し不思議な感じがしたんです。
「四月の風」をまったくやってなかったわけじゃないけど、頻度は今と比べると全然低かった(記憶では野音の「四月の風」が印象的だったのですが、その前のZeppツアーでもセトリに入っていました)

2000年の「good morning」は自信作だったけれども売上という結果が出なかったといいます。両極端の方向性に揺れていた惑いの2001年。

時を経て2017年7月9日の八王子公演。
「四月の風」という曲について、
「本当の意味の”ファイティングマン”。27歳の”ファイティングマン”」
と宮本さんは言っていました。

契約を切られて崖っぷちだったあの頃。
お正月に風邪をひきながら、捨て身の思いで書き上げた「四月の風」。 自分で自分を奮い立たせたあの時の気持ち。

原点に立ち返りたいような、何かを呼び戻したいような、祈りにも似た気持ちがあったのかもしれません。
2001年の「四月の風」を振り返るにつけ、そんなことを思うのでした。

2001年11月21日のSHIBUYA-AX公演のチケット。
この会場も今はもうなくなってしまいました。

裏にセトリとかいろいろ書き付けています(字が汚い……)

「en1 ガストロンジャー
   悲しみの果て
 en2 コールアンドレスポンス
    ファイティングマン
    四月の風」
「客電ついたあと、もうやる曲がありません。人間なんてラララ~~」

この日も最後の曲が「四月の風」だったんですね。
このライブ、盛り上がりが異様にすごくて、2回アンコールが終わっても拍手が全然鳴りやまず、客電がついても全然しずまらなくて、するとメンバーが袖から再び登場、宮本さんが「もうやる曲がありません」と言って、なぜか吉田拓郎の歌をラララ~~と歌ったのでした。

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